
馬岳梁先生の強さはこの私が申し上げる必要がない位、今日の世界のネットでもう既にあり溢れる程に紹介されています。わたくしが申し上げたいお二人の強さは自分自身で経験した二人の内面的な凄い太極勁になります。特に馬先生とは毎日のように推手の練習をしていて、とても不思議な太極勁と奇跡に近い武術の強さは今日になっても私は思い上がる資格がないとの自覚の原動力になっているに違いがありません。
私がはじめて馬岳梁先生の凄さを知ったのが1979年の旧正月でした。1978年に呉式太極拳の推手を練習してもよいとのゴーサインが出されました。当然のようにまずは一人で推手の動きを練習する所謂「単練」を約三週間の間に毎日のように慢架と「四正推手単練」を繰り返ししていましたが、三週間過ぎたところで馬岳粱先生が自ら私に合わせてくれたことは生涯忘れません。四正推手が何となくできるようになったのが丁度、推手を学んで一ヵ月経ったところでした。呉式太極拳の十三種類の基本推手はあの後の約半年後のことでした。私は当時、江蘇省宜興市の戸籍で半年の田舎生活でしたが、なんど馬先生は四正推手を他の誰ともしないようにとの命令をくだされたのです。しかし、当時の自分はまだ馬先生や呉先生の本格的な太極拳教育を受けておらず、田舎の民間人で太極推手をやっている方がいて、時々一緒に練習していても大丈夫ではないかと思い、田舎に戻ったところで直ぐにお願いしてみたところ、なんと快諾されました。その方の話しではやはり田舎では太極拳を練習する者が少なく、推手などは練習相手がいる訳がなかったです。自分は師の命令を無視して呉式以外の方と太極推手の練習をしていてもやはり四正推手だけではありません。力尽く押し合いはもはや今日の世界に存在するものでは無く数十年の昔からこのような推手がありました。
私は四正推手を学んで半年も師匠と離れなければならないことで民間の推手の手法はいくつかを学んだつもりでその年の旧正月の帰郷で当然のように師の教えを仰ぎに行き、馬先生は早速、私の太極拳をみたいと言い出したのです。当然のように推手の勉強も当たり前ですね。若い私はその時にもしかして魔が差したのだろうか民間の押し方で馬先生を試そうと思ったのです。しかし、自分ははじめて馬先生の奇跡のような太極勁を体感するとともに、我が身は既に師の家に置かれていたソフアーの上にありました。5メートル位でしょうか。どのように飛ばされたのかは全然理解できなかったです。しかも、自分が押そうと思った瞬間の出来事でした。あの時の一瞬が私にとって太極拳の本当の凄さを実感した途端でもありました。勿論、自分が民間人の方と世間の推手をしていたことは、自分の説明が無くても全部バレバレでした。しかし、馬先生は何も怒っていませんでした。当時15歳の私に先生はオレンジジュースを招待してくださり、田舎では飲めないから帰りにもう一本を持って帰って、そして、明日もまた上げるからゆっくり飲んでくださいと、いつものように優しさが溢れていました。割合に素直な少年の私は飲料を飲みながら先生に命令を無視し民間人と一緒に押し相撲推手をやっていたことを自白しましたが、馬先生も呉先生も優しく笑い、上海で生活ができない私が推手練習をしたくてもできないことを言及し、中国はもう少しで改革開放が始まることを予言し始め、私にはなんと、呉式太極拳の四正推手のみを田舎の民間人の方に教えるように命じられました。理由は私がもう少し田舎の生活をしなければならないだろうと二人の先生が当時の中国の国勢を分析した結果により決断でした。なんという柔軟性に満ちた二人でありましょう。2週間の旧正月休みはいつものように短過ぎて、あっと言う間に母のお仕事の関係で私も田舎へ変える時は直ぐに迫ってきていました。でも、何故かその年の母は私にもう少し一人で故郷に残って推手と太極拳全般の勉強を勧めてくれました。我が子の進歩が少しでも感じたのでしょう。私は更に10日の時間を頂き、毎日のように10数時間も呉先生と馬先生の家に居候し、練習で気持ちが入った時は師の家でご飯を御馳走になり、少々休憩していたら直ぐに自分から練習をし始めます。この20数日の間に呉式太極推手の13式の三分の一ほど教えて頂いたのですが、自分が一番楽しかったのが馬岳梁先生との練習で先生の体のすべての部分が信じられない程に柔らかく、かなり固い自分も先生と一緒に練習をすると自然に力が入らなくなります。当然、自分もたったの20数日で体が大分柔らかくなり、推手の基本が何となく悟るようになり始めたのです。そして、師と毎日のように推手ができる時は当時の中国ではまだ考えられないこともあって、馬岳粱先生は呉式太極拳の気功も私に教えてくださったのです。田舎の民間の方との推手の練習は当然、高い期待が望められないことでしょう。自分一人での練習時間はやがってすぐにやってきて、私もいつもと変わらない寂しい気持ちで、あの年からは中国改革開放の元年とあって、旧正月では田舎者の私達も当時では楽園のような存在であった香港からも親戚が来ていて、わたくしにはおそらく香港のどこかの駅前のリサイクルショップで購入したお洋服をプレズントし、当時の中国青年はこのようなレベルの洋服でも美しいと思い、「香港服」と名付けては身にまとっては町を悠々と歩き回っていました。思い起こすと私ははじめて中古のSANYOカセットレコーダーを手に入れ、テレサ テンのテープを聞き始めたのもその年でした。田舎に戻ると当然の注目の的になり、数着の香港式お洋服は当時の上海でもかなり目立っていたはずですが、まして田舎町でありましょう。しかし、自分の心の中にあるのは馬先生の奇跡のような太極勁だけでした。どうやってこのような太極勁が習得できるのだろうかと日々の慢架修練や気功ではかなり力が入っていました。
今日になって私が感じる馬岳梁先生の強さとは、太極勁もそうですが、人間的な強さがバックにあってこそ本物の強さが手に入るのではないかと確信しております。
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