著書の意図
- 2014/11/01
- 00:03


11月の初頭にわたくしにとって人生初の著書、そして、呉式太極拳においても初となる日本語の本がようやく出版されます。
このわたくしの日本語実力で本格的な日本語の著書はまだいささか無理でありながらも、多くの日本人の方が最大限にバックアップしてくださったことの御陰で、このかなり難しい著書の実現がありました。
これは、このわたくしが長い間に渡っての太極修練がこの国で多くの方となんだかの形で共有しはじめることの象徴でもあり、何よりもわたくしの師匠の一人である馬岳梁氏が日本国の中国武術界に与えた強い影響力が今回の私が著書に至った最も大きな原因ではありませんでしょうか。
思い起すと27年前に長い間呉英華師と馬岳梁師の指導を受けていたわたくしの叔父の黄立穆氏が横浜華僑総連の長に馬岳梁先生をお勧めしたことがあり、その方の急な物古の為実現できませんでした。
馬岳梁先生は改革されていない、本来の形の太極拳を世界に広める為に、高齢にも関わらず数カ国の外遊を敢行していました。日本国を訪問することは長い間の夢でもあったのですが、私は1989年に来日した為、馬岳梁先生はわたくしの来日した間もないうちに90歳を迎えてしまい、色々な事情が交差している中で馬師の来日はとうとう、夢で終えてしまいました。
勿論、わたくしは来日後、日本を代表する大団体にも馬師が来日して太極拳講座を開きたいとの希望を打診しましたが、あいにくその大団体は馬師のことをご存知なかったことで見合わせとの結果で終了していました。
しかし、最近になって故松田隆智先生が長い間、馬岳梁先生を探していらっしゃったことを、松田先生のお弟子であり、わたくしの今回の著書を全力を尽くしてくださった親友の山田英司先生のブログ記事ではじめてしりました。
一瞬、わたくしは自分がもっと前に山田先生とでも知り合っていれば馬岳梁先生の来日も実現したのではないかと思い始めたのですが、しかし、自分が日本で太極拳を教える決心をしたのが、丁度自分が来日して24年目の節目の年であり、思い起すと呉式太極拳研究会を足し上げて間もない頃にfacebook上で松田先生のご不幸のニュースが流れ込みましたが、山田英司先生と知り合ったのがこの後の出来事でした。
しかし、このように過去に振り向き、自分が残した足跡の横に常に誰かの足跡が寄り添うようにして、一つひとつの時期において必ずと言ってもいい位に、人生の先輩が自分を助けてくれている事実は、このわたくしが時々行っている個人の意識の糾明という作業の中で度々思い出させられています。
このリレーのような人生の一つひとつの段階とでも言おうか楽しみもあり試練もあり、何となく自分が専門としている太極拳の中の太極勁修練に非常に似ていることは、本日の意識の糾明の中で悟りました。
太古の昔では、太極修練は天地万物と人間が一体になる伝説があり、今日ではもう既に物語となっている過去の巨匠達の奇跡に近い太極勁は今日の若者の間ではもはや法螺吹きのような存在に過ぎません。
これは当然と言えば当然ですが、太極拳はもう数千年も前の古代人体芸術であり、そして、その修練法は当然にようにこれほどの原始的なものがない位に近代社会の中では生き難い分野であることは確実です。
そして、太極拳発祥の国は1950年代に見事にこの古代人体芸術と靈的格闘技の集大成を、政治と国家の色々な都合でスポーツ種目に変形し、新体操のような採点術で競い合うことも、数千年前の古芸術が近代社会での継承の難しさを物語っているように………
しかし、わたくしが最も困惑しているのは、日本国はその素晴らしい国民性と安定した政治状況により、国内伝統文化が世界で類を見ない程に尊重され、継承されているにもかかわらず、外来文化である太極拳のことになると一向に本来継承すべきものを頑なに拒み続けていることです。
これが今回、わたくしが著書を決心に至った最も大きな原因でございます。
勿論、伝統太極拳の特性である天地人合一の素晴らしさもなんとか著書という形で日本に残せることは自分の長い間の夢でもありますし、実際に10数年前からは個人的に数人の太極拳教室の師範の個人レッスンを敢行した際に、日本人は世界のどの国の国民よりも太極修練に適していることは確認済みですし、今日では、もっと多くの方に太極拳を教えており、国民性のおかげで多くの方が素早く太極効果を得ることで成功して参りました。
本日は自分に本の見本が届き、真っ赤な表紙を見て沢山のシーンが目の当りに映し出され、映画のように綴られていました。革命恐怖症の人間は通常、赤を見るとおののくことが多いですが、わたくしはどちらかというとこの情熱的な赤が好きで、普段も赤のシャッツを着ることで誤解されることもあります。
太極修練はこのように段階により色々な色に例えて解釈することも可能です。本日の赤ですが、丁度、わたくしが多くのの初心者に差し上げる色にぴったり合っていることも偶然と言えば偶然でしょうが、わたくしは今回の文書校正の際、フル・コムの山田先生や野沢先生、有限会社スタジオ・ポットSD社長の日高崇様に多大な迷惑をかけており、本の表紙などは皆様にすべてを一任しておりました。この偶然のぴったりは、松田隆智先生と馬岳梁先生のお導きとしか思えない出来事です。
これは初心者が修練する太極拳はこのような赤です。情熱の代表であり初心者の修練時の何でもはっきりとさせてしまう代表的な色になります。
少し熟練になれば、段々と太極拳の色も暖色から冷色へとかわり、色の濃度も徐徐に低くなっていき、最終的にには色のトーンがなくなり、白と黒のトーンだけで表現するようになり、最上級の太極勁ではもはや白に近付く無色に近い度合いの光景になります。
しかし、太極勁をこのように色で解釈するのも完全な適切までは至っていません。自然界のいかなるものでも太極勁という人間の内部に起きている変化を例えることは無理の一言です。
自然界では時々、信じられない絶景を見て、人々はどのように例えればよいのかわからなくなる時があります。
日出江花红勝火、春来江水绿如藍。
これは、中国の唐朝著名詩人である白居易が詠まれた名句でございますが、詩人は絶景を目の当りにしもはやどの色の言葉で綺麗な朝日の色と水の色を例えればよいかで本当に戸惑っていました。太極修練の解釈もそのようなものです。
しかし、これほどの難しいことが誰かがやらなければ、太極拳の暗黒の時代は永遠に続いてしまい、このような危機を感じている多くの皆様との共有によって、今回の出版が実現致しました。
太極拳の春の足跡はわたくしには確実に聞こえています。詩人白居易が炎のような朝日と青い緑のような比喩を用いるような絶景と同じく、私達はただ幻を見ながら正しい太極修練がもたらす様々な恩恵に預かる時代が来ます。
間もなく発売するわたくしの著作をこの素晴らしい時代に捧げたいと存じます。そして、わたくしも皆様の一番近いところで、皆様と一緒に修行を続けます。
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